『会いたい。来て欲しい』

久しぶりに届いた彼氏からのメールは相変わらず自分勝手でそっけなくて、今が終電も無くなった深夜だということをまるで考えもしてない、きっと私のことすらも想ってはいない、そんな内容だった。それでも、自分でも本当に馬鹿だと思うけれど、仕事終わりでクタクタになった私を動かすには充分な内容だったらしい。

アパートを出て、駐輪場に停めてある自転車の鍵をあける。一時間前にその自転車にまたがって、前かごにバックを放り投げて、ふらふらと最寄りの駅から帰ってきたばかりだった。
大学に入学した時に近所のホームセンターで買った6800円の安物の自転車は、私が社会人になった今でも現役で、今から会いに行く彼氏なんかよりもずっと付き合いは長い。

駅とは逆方向に向かって自転車をこぎ始める。もう冬も去って、そろそろお花見なんかで外に人が出てくる、そんな季節になっていたけれど、深夜のこの時間はまだ冬の気配が色濃く残っている。自転車が風を切って走ると、私の体はそれに応じて熱を奪われていくようだった。
彼氏の家は、電車があれば迷うことなく電車を選ぶけれど、自転車でも行けなくはない、そんな微妙な距離のところにあった。

何も走っていない、少し先の交差点の信号が赤になったのを見て、自転車を漕ぐペースを落とした。別に信号無視をしても誰も困らないし、小さな事でもルールは破ってはいけない。なんて信念があるわけでも無かったけれど、すでに彼氏の家までちょうど半分くらいの距離を走っていたし、時間でいうと、たぶん30分くらいはノンストップで自転車を漕いでいた。
交差点に近づき、自転車を停止すると、携帯電話が振るえた。見ると彼氏からのメールだった。

『やっぱりいい。明日朝早いから』

簡潔に、用件だけが書かれたメールだった。私はメール見てから、携帯電話の電源を切った。理由を問い詰めるのも、文句を言うのも、メールで伝えるのも、電話で伝えるのも、会って伝えるのも、何もかもがどうでも良くなった。

就職浪人をして、私よりも一年遅く社会人になった彼との関係は、私が社会人になった頃から少しずつ変質していって、彼が社会人になった頃にはその変質は修復不可能なところまで来ていたように思う。それでも必死にその変化を見て見ぬふりをして、気を使って、関係を終わらせない事だけに終始して、やがてそれが目的になっていたのかもしれない。

昔の私なら今の状況に文句を言っていただろうし、そもそもこんな状況にならなかっただろう。二人の関係が変化して、私自身も変わってしまった。その結果が、この何も走っていない深夜の交差点で立ち尽くしている今なのだと、ようやく受け入れる事ができた。

もう、今の私には疲労しかなかった。

「疲れたなあ」

漏れるようにそうつぶやいて、下を向いて、自転車のフレームに何かが当たったの見て、私は涙を流しているのだと気がついた。

気がついたからと言ってどうすることもできずにただただ涙が流れて自転車のフレームに当たって地面に落ちる。

信号が青になったけれど、交差点を進む車も歩行者も自転車も無かった。      




即興小説というサイトで未完成だったものを完成っぽくして書いたやつです。